【抜き書きノート】
... エックハルト・トール 『ニュー・アース』 より
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第1章 私たちはいますぐ進化しなければならない
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変化は人々の心や思考よりも深いところで起こっている。それどころか新しい意識の核心は思考の枠を超えることにある。思考よりも高い場所に上がり、思考よりもはるかに広い次元が自分自身のなかにあることに気づく新たな能力だ。そのとき人は自分のアイデンティティを、自分が何者であるかの根拠を、今まで自分自身と同一視していた絶え間ない思考の流れには求めなくなる。「自分の頭のなかの声」が実は自分ではないと気づくと、すばらしい開放感を味わう。では自分とは何なのか? 自分とは、思考する自分を見ている者だ。思考よりも前にある気づきであり、思考が ─── あるいは感情や知覚が ─── 展開する場である。
・・・(第1章)
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第3章 エゴを乗り越えるために理解すべきこと
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スピリチュアルな目覚めとは、自分が知覚し、体験し、考え、感じている対象はつきつめてみれば自分ではないし、つねに移ろう事物のなかに自分自身を発見することはできない、とはっきり見抜くことである。・・・(第3章)
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結局のところ、大切なのは次のことだけだ。人生という背景のなかでつねに「大いなる存在」という自分の本質、「私は在る(I AM)」ということを感じていられるか? もっと正確に言えば、いまこの瞬間に「「私は在る(I AM)」と感じられるか?・・・(第3章)
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第4章 エゴはさまざまな顔でいつのまにか私たちのそばにいる
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不幸の第一原因は状況ではなく、その状況についてのあなたの思考なのだ。自分の思考をきちんと観察しよう。思考を状況と切り離そう。状況はつねに中立だし、つねにあるがままである。向こうには状況あるいは事実があり、こちらにはそれについての自分の思考がある。物語をつくりあげたりせずに、事実とともに留まってみよう。・・・(第4章)
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いま安らぎを得るにはどうすればいいか? いまという瞬間と仲直りをすることだ。いまという瞬間は、生命というゲームが展開している場である。生命は他のどこで展開することもあり得ない。いまという瞬間と仲直りしたら何が起こるかを、自分には何ができ、どんな行動を選ぶことができるかを、それよりもあなたを通して生命がどう展開するかを見つめよう。生きる秘訣、すべての成功と幸福の秘訣は、次の言葉に要約できる。「生命とひとつになること」。生命とひとつになることは、いまという時とひとつになることだ。そのときあなたは、自分が生命を生きているのではなく、生命があなたを生きているのだと気づく。生命が踊り手で、あなたが舞踊なのだ。・・・(第4章)
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第6章 「いまに在る」という意識が私たちを解放する
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「悟り」とは「いまに在る」ことであり、頭のなかの声や思考プロセスから、それにその思考が身体に引き起こす感情から離れることだ。すると自分のなかに広々としたスペースが生まれる。それまでは思考や感情が騒がしくせめぎあっていた場がすっきりと開ける。
・・・(第6章)
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第7章 ほんとうの自分を見つける
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次のことを何週間か試して、結果がどうなるかを見ていただきたい。人々が物惜しみをして与えてくれないと思っているもの ─── 賛辞、感謝、援助、愛情をこめた気遣い、等々 ─── を自分から他人に与えるのだ。そんな持ちあわせはない、って? あるようにふるまえばよろしい。そうすれば出てくる。そして与え始めるとまもなく、与えられるようになる。与えないものは受け取れない。出力が入力を決める。世界が物惜しみをして与えてくれないと思っているものは、あなたがすでにもっているのに出力しようとしないもの、それどころかもっていることを知らないものだ。そのなかには豊かさも含まれる。出力が入力を決定するということを、イエスはこんな力強い言葉で表現した。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は気前よく量り、押しつけ、揺すり、あふれるほどにして、あなたの膝に乗せてくれるでしょう」。
・・・(第7章)
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現在という瞬間は外形的には「いま起こっていること」だ。そしていま起こっていることはつねに変化しているから、人生の日々は違うことが起こるおびただしい瞬間からできているように見える。時間は終わりのない瞬間の連続で、その瞬間には「良い」瞬間も「悪い」瞬間もあると感じるだろう。だがもっとよく観察してみると(自分の直接的な経験だけを見つめてみると)、そんなにたくさんの瞬間があるわけではないことがわかる。あるのは「この瞬間」だけだ。人生とはつねに「いま」なのである。あなたの人生のすべてはいつも「いま」展開している。過去や未来の瞬間もあなたが思い出したり予感したりするときにしか存在しないし、思い出も予想もいまこの瞬間に考えている。つまりは、いまこの瞬間しかないのだ。
・・・(第7章)
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形は限界を意味する。私たちが地上に生を受けたのは、その限界を経験するためばかりではなく、意識のなかで限界を乗り越えて成長するためでもある。外的なレベルで乗り越えられる限界もあるが、そのまま抱えて生きることを学ぶしかない限界も人生にはある。そのような限界は内的にしか乗り越えることができない。誰でも遅かれ早かれそのような限界にぶつかるだろう。そういう限界にぶつかると、人はエゴイスティックな反応の罠に落ちるか(これは激しい不幸を意味する)、あるがままを無条件で受け入れることで内的に乗り越えて優位に立つ。それが私たちに与えられた課題なのだ。あるがままを意識のなかで受け入れると、人生の垂直軸の次元、深さの次元が開かれる。そしてその垂直軸の次元から何か、無限の価値を持つ何か、そういうことがなければ埋もれたままだったはずの何かがこの世に現れる。
・・・(第7章)
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第8章 内なる空間の発見
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地球に生気を取り戻し、人類が運命をまっとうするために、モノの意識に対して空間の意識でバランスをとらなくてはならない。この空間の意識の台頭、それが次の段階の人類の進化である。
空間の意識とは、モノの意識 ─── 要するに知覚、思考、感情 ─── をもつと同時に、その底流に目覚めているということだ。この目覚めは、ものごと(モノ)を意識するだけでなく、自分が意識している存在であることをも意識することである。前景でものごとが起こっていても、その背景に内なる静寂があると感じ取れれば、それが空間の意識である! 誰にでもこの次元はあるが、ほとんどの人はまったく気づいていない。私はときどき、こんなふうに指摘する。「あなたは自分自身が『いまに在る』と感じていますか?」。
・・・(第8章)
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「いまに在る」とは、うちに広がりがある状態だ。「いまに在る」とき、あなたはこう問う。どうすれば自分はこの状況の、この瞬間の要求に応えられるだろう? 実は、そんなことを問う必要はない。あなたは静かで意識が研ぎ澄まされた、あるがままのいまに対して開かれた状態でいる。そのときあなたは状況に新しい次元を、空間をもち込む。そして見て、聞く。状況とひとつになる。状況に対して反応するのではなく、状況とひとつになると、解決策は自ずと現れる。実際には見て聞いているのはあなたという個人ではなく、研ぎ澄まされた静寂そのものだ。すると行動が可能であるなら、あるいは必要であるなら、あなたは行動を起こすだろう。と言うか、行動があなたを通じて起こるだろう。
・・・(第8章)
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意識を知ることはできないが、自分自身として意識を意識することはできる。どんな状況でも、どこにいても、直接的に感じ取ることができる。いまここに在る自分、「いまに在る」自分として、たとえばこのページの言葉が認識され思考になる場、内なる空間として感じられる。それが土台としての「私は在る」ということだ。読んだり考えたりしている言葉は前景で、「私は在る」は基部、すべての経験や思考や感情を支える背景である。
・・・(第8章)
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第9章 人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」
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あなたの内なる目的はまことにシンプルだ。目覚めること。あなたはこの目的を地上のすべての人と分かち合っている。これは人類の目的だからだ。あなたの内なる目的は全体の、宇宙の、現出しつつある知性の目的の一環で、それと不可分だ。外部的な目的は時とともに変わり得る。人によっても大きく違う。内なる目的を見出してそれと調和した生き方をすること、それが外部的な目的達成の土台だ。真の成功の基盤である。この調和がなくても、努力や苦闘、断固たる決意、この上ない勤勉、あるいは狡猾さによってある種の目標を達成することはできるだろう。だがそこに喜びはないし、結局はなんらかの形で苦しみにつながる。
・・・(第9章)
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目覚めとは意識の変化であり、その変化した意識のなかで思考と気づきが分離する。(中略)目覚めると、思考に飲み込まれて自分を失うことがなくなる。思考の背後にある気づきが自分だとわかる。すると思考はあなたを振り回して指図をする利己的で自律的な活動ではなくなる。思考の代わりに気づきが主導権を握る。思考はあなたの人生の主役ではなくなり、気づきに仕えるようになる。目覚めとは、普遍的な知性と意識的につながることだ。言い換えれば「いまに在る」こと、思考なしの意識である。
・・・(第9章)
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内なる目的に忠実であることで、生命(人生)に忠実でありなさい。あなたが『いまに在り』、全身全霊をあげていましていることをするなら、あなたの行為にはスピリチュアルな力が働きます。最初は行為そのものに別に目立った変化はないかもしれない。ただ、やり方が変わるだけでしょう。いまや、行為の第一義的な目的はその行為に意識を込めることです。二次的な目的は、その行為を通じて達成しようとする何かです。以前の目的はつねに未来にあったのに対して、新たなもっと深い目的はいまに、時間を否定したいまにだけ見つかるのです。
・・・(第9章)
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第10章 新しい地
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目覚めた行動とは、外部的な目的(何をするか)と内なる目的(目覚めて目覚めたままでいること)とが調和した行動である。目覚めた行動を通じて、あなたは外へ向かう宇宙の目的とひとつになる。あなたを通じて意識がこの世界に流れ込む。あなたの思考に流れ込み、インスピレーションを与える。あなたの行動に流れ込んで、行動を導き、力を付与する。
・・・(第10章)
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行動の主な目的が行動そのものになるとき、と言うか行動に流れ込む意識そのものになるとき、優先順位が逆転する。意識の流れが行動の質を決める。言い換えようか。どんな状況で何をするのであれ、最重要要素は意識の状態だ。どんな状況で何をするのかは二次的な要素にすぎない。「未来」の成功は行動が生じる意識によって左右されるし、その意識と不可分である。行動が生じるもとはエゴの反応かもしれないし、目覚めた意識による研ぎ澄まされた観察と関心かもしれない。真の成功と言える行動は条件づけられた無意識の思考であるエゴからではなく、研ぎ澄まされた観察と関心の場から生まれる。
・・・(第10章)
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あなたの行動には、つまりあなたを通じてこの世界に流れ込む意識のモードには三種類ある。あなたが人生(生命)を宇宙の創造的な力と調和させる三つの方法である。この三つのモードは、あなたの行動に流れ込んであなたの行動をこの世界に生じつつある目覚めた意識と結びつけるエネルギーの周波数を意味する。(中略)目覚めた行動の三つのモードとは、受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす、の三種である。それぞれは意識の周波数が異なる。ごく単純なことからきわめて複雑なことまで、何かをするときにはつねに、三つのうちのどれかが発動しているかどうか敏感に感知しなくてはいけない。よく観察すると、受け入れるのでも、楽しむのでも、情熱を燃やすのでもない行動は、自分自身か他人を苦しめているはずだ。
・・・(第10章)
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心の創造的な活用方法と、どうすれば意識的に形を現すことができるかについて、次のイエスの言葉は大切なことを教えている。「祈って求めるものは、何でもすでに受け取っていると信じなさい。そうすれば、その通りになる」。
・・・(第10章)
... エックハルト・トール 『ニュー・アース』 より