【 エックハルト・トール 】のオススメ書籍を「書評/レビュー」で紹介 【 エックハルト・トール 】のオススメ書籍を「書評/レビュー」で紹介

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Books : 【 エックハルト・トール 】のオススメ書籍を「書評/レビュー」で紹介

  • 私が過去に読んだエックハルト・トール氏の書籍の中から、【オススメ書籍】をいくつかご紹介します。
  • 私自身の理解力の低さ・文章力の無さは棚に上げていますので、「何と拙い書評/レビューだろう」と笑われるのは覚悟の上です・・・。
  • オマケとして、オススメ度★印...最高5個)・難易度初級...中級...上級)・抜き書きノート抜粋)を付けました。
  • 書籍タイトル&画像をクリックすると、新たにアマゾン(Amazon.co.jp)の画面が開きます。そこに、多くの読者が書いた様々な「書評/レビュー」が載っています。ぜひ、この Amazon の書評を読んでみてください。バラエティーに富んだ多様な視点が、とても参考になります。
  • 魂の師が語る言葉が指し示すもの・・・。その「入り口」をじっくりと覗いてみてください・・・。

 ◆ エックハルト・トール の著書

エックハルト・トールの居眠り・・・

◆ エックハルト・トール(Eckhart Tolle)とは・・・

 1948年ドイツ西部のリューネン(ドルトムント近郊)に生まれる。両親の離婚を経験した後、13歳で父親と共にスペインに移住する。
 19歳でイギリスに渡り、ロンドン大学(The University of London)を卒業。その後、奨学金を得てケンブリッジ大学(Cambridge University)大学院で研究員となる。

 29歳で人生を大きく変えることになる「覚醒体験(inner transformation)」を得る。
 イギリスでカウンセラーとして活動した後北米に移り、エックハルト・トールが初めて執筆した本The Power of Now(邦題:さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる)』が300万部を超えるベストセラーとなる。
 その後も、A New Earth: Awakening to Your Life's Purpose (邦題:ニュー・アース)』が500万部を超える世界的ベストセラーとなる。
 2008年に、エックハルト・トールはオプラ・ウィンフリー(注)と共にウェブ上のオンライン・セミナーを行い、北米を中心に世界中でのべ3500万人が参加・視聴した。

 2008年、エックハルト・トールはニューヨーク・タイムスから「the most popular spiritual author in the United States」と評される。

 現在はカナダのバンクーバーに在住し、特定の宗教・宗派に与(くみ)しない新しいタイプの「spiritual teacher」として、講演や執筆活動を行っている。

(注)オプラ・ウィンフリー(Oprah Gail Winfrey)は、アメリカのトーク番組史上最高と評されるTV番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』の司会者兼プロデューサー。20世紀以降のアメリカで最も富裕なアフリカ系アメリカ人であり、「世界で最も有力な女性」と称される。バラク・オバマの初期の支援者としても知られる。

 ◆ 参考リンク ⇒ 【 Eckhart Tolle TV 】

ニュー・アース - 意識が変わる 世界が変わる  ←[Amazon レビュー]


エックハルト・トール(サンマーク出版)
吉田利子(訳)
★★★★★ 【中級】
価格:¥2,310
 エックハルト・トールの3冊目の著書『 A New Earth: Awakening to Your Life's Purpose 』は2005年の出版から北米で500万部以上を売り上げ、今もなお売れ続けているベストセラーです。その邦訳である本書『ニュー・アース』の出版は2008年です。

 『本書をお読みになるうちに、あなたのなかで変化が起こるだろう。本書のいちばんの目的は(中略)意識を変化させること、つまり目覚めさせることだ』『あなたのなかで目覚めのプロセスがすでに始まっているとしたら、本書によってそのプロセスは加速され、充実したものになるだろう』と著者エックハルト・トールは述べています。つまり、本書『ニュー・アース』は、読者の「目覚め」に対して触媒の役割を果たすということです。

 本書は、エックハルト・トールの初めての著書『 The Power of Now(邦題:さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる)』で示されたコンセプトを、より丁寧に深く時間をかけて説明しています。本書『ニュー・アース』の前半部では、私たちの目覚めを阻害する心の「機能不全」について、そのメカニズムを詳しく解説してくれます。また後半部では、目覚めるための具体的なプロセスについて語られます。

 意味を噛みしめながら、感じ取りながら、毎日少しずつ読んでいます。本書は目で見ることのできない(形のない)「意識の変化」について書かれています。そして、エックハルト・トールの言う「進化途上の彼らの意識はまだ気づきのレベルへの量子的飛躍を遂げていない」段階である自分が読むわけですから、物語のようにスイスイと読み進むわけにはいきません。しかし、言葉にはできない「何か」を感じながら、繰り返し読んでいます。その度に、同じ箇所で「本当にそうだ!」とうなづき、更に読み流していた部分で新たに目を見開かれます。そしてもう一度初めから読み返してみると、それまで霧がかかったようにぼんやりしていた箇所が、まるでカメラのピントが急に合ったように、くっきりとした意味合いをもって目の前に現れます。さらには、それまで「分かった」つもりでいた文章がその殻を破り、新たに「実感」を伴って迫ってくるのを感じます。

 本書には、ブッダ、老子、イエスなど多くの先覚者の言葉が出てきます。更には、何と白隠禅師のエピソードまで・・・。これは、宗教・宗派・洋の東西を超えて、深い真実を希求しようとする著者エックハルト・トールの姿勢の表れです。また、宗教「組織」、宗教「団体」がこれまで重ねてきた害悪について熟知しているトールは、著者自身が組織を作ることをまったく考えていません。そのような弊害とは無縁なカタチ、個を拘束しないスタイルで真実にアプローチしようとする姿勢は、飯田史彦氏とも共通する部分です。安心して(?)読むことができます。

 今の私には、「思考と気づきの分離」が一番のポイントです。同じことを中村天風は言葉を変えて『すべてを客観的に考えるという特定意識を習性づけなさい。自分のことを第三者の立場に立って考えるように習慣づけなさいっていうんだよ。』と言っています。登る道は違っていても目指す頂(いただき)は同じ ─── なのですね。

 最後に・・・本書『ニュー・アース』は、エックハルト・トールの最初の著書『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』の内容をより深く説明しています。ですから、読む順序としては『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』⇒『ニュー・アース』という流れが自然なのかもしれません。

【抜き書きノート】 ... エックハルト・トール 『ニュー・アース』 より

第1章 私たちはいますぐ進化しなければならない
変化は人々の心や思考よりも深いところで起こっている。それどころか新しい意識の核心は思考の枠を超えることにある。思考よりも高い場所に上がり、思考よりもはるかに広い次元が自分自身のなかにあることに気づく新たな能力だ。そのとき人は自分のアイデンティティを、自分が何者であるかの根拠を、今まで自分自身と同一視していた絶え間ない思考の流れには求めなくなる。「自分の頭のなかの声」が実は自分ではないと気づくと、すばらしい開放感を味わう。では自分とは何なのか? 自分とは、思考する自分を見ている者だ。思考よりも前にある気づきであり、思考が ─── あるいは感情や知覚が ─── 展開する場である。 ・・・(第1章)
第3章 エゴを乗り越えるために理解すべきこと
スピリチュアルな目覚めとは、自分が知覚し、体験し、考え、感じている対象はつきつめてみれば自分ではないし、つねに移ろう事物のなかに自分自身を発見することはできない、とはっきり見抜くことである。・・・(第3章)
結局のところ、大切なのは次のことだけだ。人生という背景のなかでつねに「大いなる存在」という自分の本質、「私は在る(I AM)」ということを感じていられるか? もっと正確に言えば、いまこの瞬間に「「私は在る(I AM)」と感じられるか?・・・(第3章)
第4章 エゴはさまざまな顔でいつのまにか私たちのそばにいる
不幸の第一原因は状況ではなく、その状況についてのあなたの思考なのだ。自分の思考をきちんと観察しよう。思考を状況と切り離そう。状況はつねに中立だし、つねにあるがままである。向こうには状況あるいは事実があり、こちらにはそれについての自分の思考がある。物語をつくりあげたりせずに、事実とともに留まってみよう。・・・(第4章)
いま安らぎを得るにはどうすればいいか? いまという瞬間と仲直りをすることだ。いまという瞬間は、生命というゲームが展開している場である。生命は他のどこで展開することもあり得ない。いまという瞬間と仲直りしたら何が起こるかを、自分には何ができ、どんな行動を選ぶことができるかを、それよりもあなたを通して生命がどう展開するかを見つめよう。生きる秘訣、すべての成功と幸福の秘訣は、次の言葉に要約できる。「生命とひとつになること」。生命とひとつになることは、いまという時とひとつになることだ。そのときあなたは、自分が生命を生きているのではなく、生命があなたを生きているのだと気づく。生命が踊り手で、あなたが舞踊なのだ。・・・(第4章)
第6章 「いまに在る」という意識が私たちを解放する
「悟り」とは「いまに在る」ことであり、頭のなかの声や思考プロセスから、それにその思考が身体に引き起こす感情から離れることだ。すると自分のなかに広々としたスペースが生まれる。それまでは思考や感情が騒がしくせめぎあっていた場がすっきりと開ける。 ・・・(第6章)
第7章 ほんとうの自分を見つける
次のことを何週間か試して、結果がどうなるかを見ていただきたい。人々が物惜しみをして与えてくれないと思っているもの ─── 賛辞、感謝、援助、愛情をこめた気遣い、等々 ─── を自分から他人に与えるのだ。そんな持ちあわせはない、って? あるようにふるまえばよろしい。そうすれば出てくる。そして与え始めるとまもなく、与えられるようになる。与えないものは受け取れない。出力が入力を決める。世界が物惜しみをして与えてくれないと思っているものは、あなたがすでにもっているのに出力しようとしないもの、それどころかもっていることを知らないものだ。そのなかには豊かさも含まれる。出力が入力を決定するということを、イエスはこんな力強い言葉で表現した。「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は気前よく量り、押しつけ、揺すり、あふれるほどにして、あなたの膝に乗せてくれるでしょう」。 ・・・(第7章)
現在という瞬間は外形的には「いま起こっていること」だ。そしていま起こっていることはつねに変化しているから、人生の日々は違うことが起こるおびただしい瞬間からできているように見える。時間は終わりのない瞬間の連続で、その瞬間には「良い」瞬間も「悪い」瞬間もあると感じるだろう。だがもっとよく観察してみると(自分の直接的な経験だけを見つめてみると)、そんなにたくさんの瞬間があるわけではないことがわかる。あるのは「この瞬間」だけだ。人生とはつねに「いま」なのである。あなたの人生のすべてはいつも「いま」展開している。過去や未来の瞬間もあなたが思い出したり予感したりするときにしか存在しないし、思い出も予想もいまこの瞬間に考えている。つまりは、いまこの瞬間しかないのだ。 ・・・(第7章)
形は限界を意味する。私たちが地上に生を受けたのは、その限界を経験するためばかりではなく、意識のなかで限界を乗り越えて成長するためでもある。外的なレベルで乗り越えられる限界もあるが、そのまま抱えて生きることを学ぶしかない限界も人生にはある。そのような限界は内的にしか乗り越えることができない。誰でも遅かれ早かれそのような限界にぶつかるだろう。そういう限界にぶつかると、人はエゴイスティックな反応の罠に落ちるか(これは激しい不幸を意味する)、あるがままを無条件で受け入れることで内的に乗り越えて優位に立つ。それが私たちに与えられた課題なのだ。あるがままを意識のなかで受け入れると、人生の垂直軸の次元、深さの次元が開かれる。そしてその垂直軸の次元から何か、無限の価値を持つ何か、そういうことがなければ埋もれたままだったはずの何かがこの世に現れる。 ・・・(第7章)
第8章 内なる空間の発見
地球に生気を取り戻し、人類が運命をまっとうするために、モノの意識に対して空間の意識でバランスをとらなくてはならない。この空間の意識の台頭、それが次の段階の人類の進化である。
 空間の意識とは、モノの意識 ─── 要するに知覚、思考、感情 ─── をもつと同時に、その底流に目覚めているということだ。この目覚めは、ものごと(モノ)を意識するだけでなく、自分が意識している存在であることをも意識することである。前景でものごとが起こっていても、その背景に内なる静寂があると感じ取れれば、それが空間の意識である! 誰にでもこの次元はあるが、ほとんどの人はまったく気づいていない。私はときどき、こんなふうに指摘する。「あなたは自分自身が『いまに在る』と感じていますか?」。 ・・・(第8章)
「いまに在る」とは、うちに広がりがある状態だ。「いまに在る」とき、あなたはこう問う。どうすれば自分はこの状況の、この瞬間の要求に応えられるだろう? 実は、そんなことを問う必要はない。あなたは静かで意識が研ぎ澄まされた、あるがままのいまに対して開かれた状態でいる。そのときあなたは状況に新しい次元を、空間をもち込む。そして見て、聞く。状況とひとつになる。状況に対して反応するのではなく、状況とひとつになると、解決策は自ずと現れる。実際には見て聞いているのはあなたという個人ではなく、研ぎ澄まされた静寂そのものだ。すると行動が可能であるなら、あるいは必要であるなら、あなたは行動を起こすだろう。と言うか、行動があなたを通じて起こるだろう。 ・・・(第8章)
意識を知ることはできないが、自分自身として意識を意識することはできる。どんな状況でも、どこにいても、直接的に感じ取ることができる。いまここに在る自分、「いまに在る」自分として、たとえばこのページの言葉が認識され思考になる場、内なる空間として感じられる。それが土台としての「私は在る」ということだ。読んだり考えたりしている言葉は前景で、「私は在る」は基部、すべての経験や思考や感情を支える背景である。 ・・・(第8章)
第9章 人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」
あなたの内なる目的はまことにシンプルだ。目覚めること。あなたはこの目的を地上のすべての人と分かち合っている。これは人類の目的だからだ。あなたの内なる目的は全体の、宇宙の、現出しつつある知性の目的の一環で、それと不可分だ。外部的な目的は時とともに変わり得る。人によっても大きく違う。内なる目的を見出してそれと調和した生き方をすること、それが外部的な目的達成の土台だ。真の成功の基盤である。この調和がなくても、努力や苦闘、断固たる決意、この上ない勤勉、あるいは狡猾さによってある種の目標を達成することはできるだろう。だがそこに喜びはないし、結局はなんらかの形で苦しみにつながる。 ・・・(第9章)
目覚めとは意識の変化であり、その変化した意識のなかで思考と気づきが分離する。(中略)目覚めると、思考に飲み込まれて自分を失うことがなくなる。思考の背後にある気づきが自分だとわかる。すると思考はあなたを振り回して指図をする利己的で自律的な活動ではなくなる。思考の代わりに気づきが主導権を握る。思考はあなたの人生の主役ではなくなり、気づきに仕えるようになる。目覚めとは、普遍的な知性と意識的につながることだ。言い換えれば「いまに在る」こと、思考なしの意識である。 ・・・(第9章)
内なる目的に忠実であることで、生命(人生)に忠実でありなさい。あなたが『いまに在り』、全身全霊をあげていましていることをするなら、あなたの行為にはスピリチュアルな力が働きます。最初は行為そのものに別に目立った変化はないかもしれない。ただ、やり方が変わるだけでしょう。いまや、行為の第一義的な目的はその行為に意識を込めることです。二次的な目的は、その行為を通じて達成しようとする何かです。以前の目的はつねに未来にあったのに対して、新たなもっと深い目的はいまに、時間を否定したいまにだけ見つかるのです。 ・・・(第9章)
第10章 新しい地
目覚めた行動とは、外部的な目的(何をするか)と内なる目的(目覚めて目覚めたままでいること)とが調和した行動である。目覚めた行動を通じて、あなたは外へ向かう宇宙の目的とひとつになる。あなたを通じて意識がこの世界に流れ込む。あなたの思考に流れ込み、インスピレーションを与える。あなたの行動に流れ込んで、行動を導き、力を付与する。 ・・・(第10章)
行動の主な目的が行動そのものになるとき、と言うか行動に流れ込む意識そのものになるとき、優先順位が逆転する。意識の流れが行動の質を決める。言い換えようか。どんな状況で何をするのであれ、最重要要素は意識の状態だ。どんな状況で何をするのかは二次的な要素にすぎない。「未来」の成功は行動が生じる意識によって左右されるし、その意識と不可分である。行動が生じるもとはエゴの反応かもしれないし、目覚めた意識による研ぎ澄まされた観察と関心かもしれない。真の成功と言える行動は条件づけられた無意識の思考であるエゴからではなく、研ぎ澄まされた観察と関心の場から生まれる。 ・・・(第10章)
あなたの行動には、つまりあなたを通じてこの世界に流れ込む意識のモードには三種類ある。あなたが人生(生命)を宇宙の創造的な力と調和させる三つの方法である。この三つのモードは、あなたの行動に流れ込んであなたの行動をこの世界に生じつつある目覚めた意識と結びつけるエネルギーの周波数を意味する。(中略)目覚めた行動の三つのモードとは、受け入れる、楽しむ、情熱を燃やす、の三種である。それぞれは意識の周波数が異なる。ごく単純なことからきわめて複雑なことまで、何かをするときにはつねに、三つのうちのどれかが発動しているかどうか敏感に感知しなくてはいけない。よく観察すると、受け入れるのでも、楽しむのでも、情熱を燃やすのでもない行動は、自分自身か他人を苦しめているはずだ。 ・・・(第10章)
心の創造的な活用方法と、どうすれば意識的に形を現すことができるかについて、次のイエスの言葉は大切なことを教えている。「祈って求めるものは、何でもすでに受け取っていると信じなさい。そうすれば、その通りになる」。 ・・・(第10章)
... エックハルト・トール 『ニュー・アース』 より

【目次】
第1章 私たちはいますぐ進化しなければならない
第2章 エゴという間違った自己のメカニズム
第3章 エゴを乗り越えるために理解すべきこと
第4章 エゴはさまざまな顔でいつのまにか私たちのそばにいる
第5章 ペインボディ ― 私たちがひきずる過去の古い痛み
第6章 「いまに在る」という意識が私たちを解放する
第7章 ほんとうの自分を見つける
第8章 内なる空間の発見
第9章 人生の目的は「何をするか」ではなく「何者であるか」
第10章 新しい地

 

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エックハルト・トール(徳間書店)
飯田史彦(監訳)
あさりみちこ(訳)
★★★★★ 【初級】【中級】
価格:¥1,890
 原著『 The Power of Now: A Guide to Spiritual Enlightenment 』は、エックハルト・トールが最初に執筆した書籍です。1997年の出版から2009年までに、北米だけで300万部以上を売り上げるベストセラーとなり、30以上の言語に翻訳されています。邦訳『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』は2002年の出版。

 本書は、著者であるエックハルト・トールの10年以上にわたるカウンセリングやセミナーのなかで行われた質疑応答をもとに、主に「Q&A」形式で綴られています。また冒頭では、エックハルト・トール自身の「覚醒体験」が生々しく語られます。これは、貴重です。

【抜き書きノート】 ... エックハルト・トール 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』 より

第1章 思考は「ほんとうの自分」ではありません
思考を客観的にながめていると、その行為をしている、「ほんとうの自分」の存在に気づきます。「ほんとうの自分」に気づくと、意識は新たなレベルに到達します。(中略)これが、無意識的な思考活動を終わらせる、第一歩なのです。思考がおしゃべりをやめると、「無心状態」が生まれます。最初のうちは、無心状態は、ほんの数秒間しかつづかないかもしれませんが、心がけ次第で、だんだんと、長くつづくようになります。無心状態の時には「心の平安」を実感するはずです。これが、ふだんは思考の雑音によってかき消されている、「大いなる存在」との一体感なのです。この状態は、本来人間にとって、ごく自然な状態であるはずなのです。経験をつめばつむほど、平安の度合いは、よりいっそう深まっていきます。この度合いには、限界がありません。しかも、同時に自分の内奥から、魂の喜びがわき上がるのを感じるでしょう。これが「在(あ)ること」の喜びなのです。 ・・・(第1章)
第2章 「いまに在(あ)る」と、人生の苦しみは消える
すべては、「あるがまま」です。思考がどんな具合に、物事に「レッテル貼り」をしているか、よーく観察してごらんなさい。そうすれば、その「レッテル貼り」こそが、苦しみと不幸をこしらえる原因であるということに、気づきますよ。思考が、どんなしくみで機能しているかを理解すると、思考活動の外に歩み出ることができます。これは、同時に「いま、この瞬間」をあるがままに受けいれていることになります。
 「いま、この瞬間」を受けいれると、どんな出来事にも動じない、「心の平安」が得られます。その境地にはいったうえで、なにか行動を起こす必要があるなら(そしてそれが可能なら)、行動しましょう。まず、受けいれます。それから、行動を起こします。「いま、この瞬間」が運んできたものを、まるで自分であらかじめ選択したかのように、すべて受けいれるのです。どんな時でも、「いま、この瞬間」と協力するのです。それが難しい時でも「いま、この瞬間」を敵に回さないことです。これが、人生を根底から奇跡的に変化させる魔法です。 ・・・(第2章)
第3章 「いまに在る」生き方がさとりのカギ
時間は、ちっとも貴重ではありません。時間は幻だからです。あなたが貴重だと感じているものは、実は時間ではなく、時間を超えた「ある一点」、すなわち「あるひとつの時」です。それは「いま」です。「いま」こそが、ほんとうにかけがえのないものです。時間に、つまり「過去と未来」に焦点を当てるほど、もっとも貴い「いま」を見失ってしまいます。
 なぜ、「いま」が一番貴いのでしょう? 答えは至極簡単。それが「唯一のもの」だからです。存在するのは、それだけです。永遠の「いま」こそが、わたしたちの人生のすべてがくりひろげられ、内包された空間であり、唯一の現実です。「いま、この瞬間」が人生なのです。人生は「いま」です。わたしたちの人生が「いま」でなかった時など、これまでありませんでしたし、未来永劫ありません。わたしたちを、思考の世界から超えさせてくれるのは、「いま」という時だけです。「いま」だけが、時間とかたちのない「大いなる存在」につながれる、唯一の時です。 ・・・(第3章)
「いま」から逃れようとするあがきがなくなると、「在ること」の喜びが、行動すべてにあふれはじめます。わたしたちが意識を「いま」に向けると、「心の平安」「自分が存在する」「自分がぴったりと静止している」と感じます。すると、もう未来に満足感や達成を求めたりはしません。未来に「さとり」を求めたりしません。物事の結果に執着しなくなります。失敗も成功も、「私は在る」という、たしかさを、おびやかしたりしません。あなたはついに、「人生の状況」の奥に存在する、「人生」を見いだしたのです! ・・・(第3章)
第4章 思考はいつも「いま」から逃げようとしている
「普通の無意識状態」は、かたちはさまざまでも、どれもみな「いま」に対する拒絶に結びついています。「いま」は、言うまでもなく、「ここ」をも意味しています。あなたは自分の「いま」と「ここ」に抵抗していませんか? 自分がどこにいても、「どこか別の場所にいられたらいいのに」と思っていませんか? そういう人にとって、「ここ」はいつも不満だらけです。自分がこのケースに当てはまっていないか、思考を観察しましょう。どこにいようと、完全にそこに「在り」ましょう。「いま」と「ここ」が耐えがたく、自分を不幸にするなら、あなたには三つの選択肢があります。ひとつは状況から身をひくこと。ふたつめは状況を変えること。三つめは状況を完全に受けいれること。自分の人生に責任を持ちたいなら、この三つの選択肢の中から、ひとつを選ぶことです。しかも、いますぐ選んでください。そして自分の選択が導いた結果を受けいれます。言い訳をしてはなりません。ネガティブなものをこしらえてはなりません。自分の内側のスペースは、いつもきれいにしておくのです。 ・・・(第4章)
あなたは不安ですか? 「もし〜だったら?」という考えを、いつも抱いていますか? だとすると、思考が、未来の状況をイメージすることで、恐れをつくりだしているのです。未来の状況に、とりくむことはできません。それは、そもそも存在しないのですから。それは思考の中の幻なのです。
 自分の呼吸を意識しましょう。からだを出たりはいったりする空気の流れを感じましょう。からだの内側のエネルギー場を感じましょう。わたしたちがとりくまなければならないのは、思考の世界に反し、実際には「いま、この瞬間」だけなのです。「いま、この瞬間」どんな問題があるか、自分にたずねてごらんなさい。来年でなく、明日ではなく、五分後でもなく、「いま、この瞬間」です。「いま、この瞬間」、どんな問題があるでしょうか? わたしたちは、いつでも「いま」になら、とりくめますが、未来にとりくむことは絶対に不可能です。でも、その必要もありません。その時その時の状況に必要な答え、力、手段は、必ずそこにあるはずです。それより前でも後でもなく、その時にあるはずです。 ・・・(第4章)
第5章 「いまに在る」ってどんなこと?
<問い>ちょっとした実験をしてみませんか? 目を閉じて、心の中で、こうつぶやいてみてください。「どんな考えが浮かんでくるだろう?」そして、よーく神経をとぎすませて、考えが浮かんでくるのを待ちます。ねずみ穴を見張っているネコになったつもりで、やってみましょう。穴から飛び出してくるのは、どんな考えでしょう? さあ、いますぐ試してごらんなさい。いかがでした?
<答え>考えが浮かんでくるまで、結構時間がかかりましたよ。
<問い>そのとおり! 意識を集中させて「いまに在る」かぎり、思考活動はストップします。心はじっと動かず、静止状態でありながら、とてもシャープです。集中力が低下してくると、さまざまな想念が、次々と浮かんできます。思考が「雑音づくり」を再開したのです。静止状態は失われました。あなたは「時間の世界」に戻ってきたのです。 ・・・(第5章)
「いまに在る」状態は、「待つこと」にたとえられます。イエスは譬(たとえ)の中で、「待つ」という行為を「いまに在る」ことのシンボルに使っています。(中略)これは、完全な意識の集中を要します。いつ、なにが起こるとも知れないのですから、完全に目覚め、思考が静止していなければ、それを見すごしてしまうのです。これがまさに、イエスの表現するところの「待つこと」です。この状態では、意識は「いま」に注がれています。「空想」、「思い出す」、「予測する」といった思考活動をする余裕はありません。かと言って、緊張しているわけでもなく、恐れもありません。精神がとぎすまされた「いまに在る」状態なのです。全身が、細胞が、ひとつ残らず「いまに在る」のです。
 この状態では過去と未来を背負った「わたし」(個性と言ってもいいです)は、ほとんど存在しません。しかし、その人本来の価値は、みじんも損なわれていないのです。本質は、そのまま生かされています。むしろ、より一層「ほんとうの自分」に近づいたと言ってもいいくらいです。実を言うと、わたしたちが「ほんとうの自分」でいられるのは、「いま」しかないのです。 ・・・(第5章)
第7章 「目に見えない世界」の入口
身体がリラックスしているか、確認しましょう。目を閉じます。二、三度深呼吸します。下腹部まで、しっかりと息を吸いこみます。呼吸のたびに、おなかがふくらんだり、縮んだりするのを意識しましょう。次にインナーボディ全体のエネルギーを意識します。インナーボディについて考えるのではなく、ただそれを感じるのです。こうすると、思考活動は止まり、「無心状態」になります。 ・・・(第7章)
あなたの中には、万物に広がっている「在る」という感覚だけが残ります。自分のからだと外界のあいだには境界線が存在しないように感じられます。そうしたら、その感覚を強められるよう、さらに意識を集中させます。「在る」という感覚と、ひとつになるのです。自分と自分のからだのあいだに「観察する側」と「観察される側」という区別がなくなるくらい、感覚とひとつに溶け合いましょう。内側と外側という区別も、この段階では消えてしまい、「インナーボディ」という感覚さえ、なくなってしまいます。からだの奥へ、奥へとはいりこむことによって、からだを超越したのです。感覚が心地良いと感じられるかぎり、この「大いなる存在」の空間にとどまりましょう。 ・・・(第7章)
わたしたちがはいった次元は、万物が分裂して、個別化する前の世界なのです。この次元を「目に見えない世界」「万物の源」「大いなる存在」と言いかえることもできます。
それは沈黙と平和の次元であると同時に、喜びと力強い生命力の次元なのです。「いまに在る」人の肉体は、いくらか透明になり、純粋な意識である光に近づきます。さらに、その光が「ほんとうの自分」をつくっている要素そのものであることにも気づくでしょう。 ・・・(第7章)
第8章 さとりに目覚めた人間関係をきずこう
ほんとうにさとりの境地にある人は、人生のすべての面において満たされているものです。それは「素」の自分でいることであり、対極のない「善」を自分自身に感じることであり、なにものにも依存しない、「わたしは在(あ)る」という喜びです。それは一過性ではなく、いつも自分とともにある感覚です。有神論的な表現をするなら、それが「神を知ること」なのです。しかも「神」を、自分の外側にいる「誰か」ととらえるのではなく、自分の内奥にあるエッセンスとして感じるのです。「真のさとり」は、万物を存在させている、時間もかたちもない「大いなる存在」と、自分がひとつであると知ることなのです。 ・・・(第8章)
わたしたちは、自分がまだ完璧でないから、十分ではないから、という理由で、いまこの時点の自分では、「そこ」に到達できないと考えるものです。しかし、真実は逆なんです。「いま」「ここ」だけが、わたしたちが「そこ」に到達できる唯一の地点なのです。自分はすでに「そこにいる」、と気づくことで、「そこに到達できる」のです。神を探し求める必要などない、と気づいた瞬間、わたしたちは神を見つけるのです。 ・・・(第8章)
結局、さとりをひらく唯一の方法などというものは、存在しません。どんな状況にいても、さとりをひらくことができますが、特定の状況が必要だということではないのです。しかし、さとりをひらける地点はただひとつです。それは「いま」です。「いま」からはなれた地点でさとりをひらくことなど、絶対にないのです。 ・・・(第8章)
... エックハルト・トール 『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』 より

【目次】
序章 この本が生まれたいきさつ
第1章 思考は「ほんとうの自分」ではありません
第2章 「いまに在る」と、人生の苦しみは消える
第3章 「いまに在る」生き方がさとりのカギ
第4章 思考はいつも「いま」から逃げようとしている
第5章 「いまに在る」ってどんなこと?
第6章 うちなるからだ「インナーボディ」
第7章 「目に見えない世界」の入口
第8章 さとりに目覚めた人間関係をきづこう
第9章 「心の平安」は幸福と不幸を超えたところにある
第10章 「手放すこと」って、どういうこと?

 
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世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え  ←[Amazon レビュー]


エックハルト・トール(徳間書店)
あさりみちこ(訳)
★★★★★ 【初級】
価格:¥1,575
 『 Stillness Speaks: Whispers of Now 』は2003年に出版された、エックハルト・トール2冊目の本です。邦訳『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』は2006年の出版。

【抜き書きノート】 ... エックハルト・トール『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』より
02 思考の夢から目覚めるということ
でもこれからは、かわりにこんな方法を試してみてはいかがでしょう。退屈と欲求不満の状態にとどまり、それが「どんなふうに感じられるか」と観察してみるのです。意識を感覚に注いでみると、突如として、感覚の周囲にいくらかの「空間」と「静止状態」を感じはじめます。最初のうちは、ごくわずかかもしれませんが、内なる空間の感覚が拡大するにつれて、退屈という感覚は、強度においても、重要性においても、弱まりはじめます。つまり、退屈という感覚でさえ、「自分が誰であり」、「自分が誰でないのか」を教えてくれる「道標(みちしるべ)」に利用することができるのです。 ・・・(Chapter 02)
06 「受け入れること」「手放すこと」
完全に「いま、この瞬間」を受け入れると、あるいは、現状に逆らうのをやめると、考えなくてはならない、という強迫観念は次第にうすれはじめ、意識が鋭敏な、静止状態にとって代わられます。そのときの意識は完全に目覚めていると同時に、「いま、この瞬間」に対して、なんのレッテルも貼っていません。この内なる無抵抗の状態は、なにものからも制約されない意識のとびらを開きます。それは、人間の頭脳とは比較にならないほど、はるかに偉大です。この偉大な叡智は、あなたを通して自らを表現することによって、あなたを内面、外面の両方からサポートするのです。これが、心の抵抗を手放したとたん、状況が好転するという奇跡が、往々にして起こる理由です。 ・・・(Chapter 06)
... エックハルト・トール『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』より

【目次】
01 なぜ「心の静寂」が大切か?
02 思考の夢から目覚めるということ
03 「本当のわたし」と「エゴのわたし」
04 「いま、この瞬間」の意味
05 「本当の自分」を見つける
06 「受け入れること」「手放すこと」― 心の平安へといたる道
07 自然から「在る」術を学ぶ
08 人間関係を根底から変える方法
09 「死」を超越したところ、「不死」がある
10 さとりに苦しみは必要か?

 
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